金田喜稔×日比野克彦
サッカーとアートが拓く未来と可能性



デビューから現在に至るまで日本アートの最前線で活躍を続けている日比野克彦氏。東京藝術大学在学時にはサッカー部に所属し、Jリーグ開幕時のサッカー番組で司会を務め、2002FIFAワールドカップのホストシティポスターの制作を行うなど、サッカーにまつわる多数の作品を世に送り出し、サッカーとアートが一緒に楽しめるアートプロジェクトも多数手がけ、2016年から公益財団法人日本サッカー協会の社会貢委員会委員長も務めている。日本サッカー名蹴会 会長・日本サッカー協会 初代シニアアンバサダーを務める金田喜稔と日比野氏が、台東区上野の東京藝術大学にて、”サッカーとアートが拓く未来と可能性”について語った。


 

日比野 金田さん、最後にどこで会ったんだっけ?
 
金田 国立競技場で日本対ウルグアイ戦の時じゃない?姿かたちが全然変わってなかったから見かけた時にすぐ「日比野や!」ってわかったよ。その時まで、JFAの社会貢献委員長をされているとか、東京藝術大学の学長をやられているのも知らなかったからびっくりしたよ。

日比野 初めて出会ったのはJリーグが開幕した1993年だったね。 

 

金田 当時、NHK-BSで毎週日曜日に放送していた”Jリーグダイジェスト”の時だね。

日比野 金田さんがゲスト解説で、僕が司会をやらせてもらってたんだよね。

金田 あれから30年経ったのかと思うと感慨深いね。そりゃあ年取るわ。今考えたら日本で最初のサッカー専門番組の初代MCは日比野さんだよ。あの時Jリーグは全10チームで、水曜日に5試合、土曜日に5試合やって、その次の日曜日にまとめて全試合放送だから、制作スタッフは本当に大変だったと思う。出演していた僕とか田嶋幸三とか田中孝司さんは日本代表OBだけど、それぞれポジションが違うから、同じゲームを観ても気づくポイントってそれぞれ違うわけよ。僕ら解説者は、決められた尺の中で今日のゲームのポイントを伝えられるけど、それに対してコメントを返して番組を仕切っていた日比野さんは相当な才能だったと思うよ。2時間番組で毎週生放送だったし、局アナでもなかなかできないよ。

日比野 好きが故にできていたと思うけど、番組のセットのこと覚えてる?僕が朝6時くらいにスタジオに入って、NHKアート(美術)さんに「こういう風に舞台を作っておいてください」と頼んで、僕がオリジナルで毎回ペンキを塗ったり絵を描いてたりしていたんだよね。例えば浦和レッズ特集だったら赤を基調にして。 

金田 解説者としてゲームについてどうコメントをしようか考えながら参加していたからセットのことは正直気づいてなかったけど、当時日比野さんが作った段ボールの作品を頂いて自分の事務所に飾ったもん。事務所に来たサッカー関係者が皆んなびっくりしていたよ。結局その作品は、事務所を引っ越す時にどうしても欲しいっていう人に泣く泣く譲ってしまったんだけど。

日比野 本当に?その人と連絡とってどういう風に飾ってあるか写真を送ってもらって(笑)。岡田武史さんともあの番組で知り合ったし、解説の方からコメントを聞き出してリアクションして切り盛りさせてもらって、自分にとってはとても素敵な時間を過ごさせてもらった記憶があります。現在金田さんは名蹴会というレジェンドが集まっている会の会長をされているの?

金田 森孝慈さんに名誉会長に就いてもらって、国際Aマッチ50試合以上出場した選手というようなメンバーの条件を設けて、2010年9月に設立しました。オリンピックやワールドカップ、その予選ゲームを含めて、海外のチームと対戦した経験を通じて、日本代表が足りなかったこと、逆に通用したことがそれぞれあると思うんですよ。それを全国の父兄や子どもたちや指導者に伝えて、全国にさらにサッカーファンを作ろうということで活動をスタートしたんですよ。
僕が日本代表になる前には、メキシコオリンピックで銅メダルを獲られた釜本さんや杉山さんや、すでに亡くなられてしまった1964年の東京オリンピックに出場された先輩方がいらっしゃるけど、日本代表の先輩方と居酒屋に行けば当時の昔話をしてくれて、南米への遠征は船で丸三日かかったとか、代表の経験談を僕にしてくれるんですよ。そういった話を僕たちが全国に行った時に地域の方に伝えて、それを聞いた方がまた誰かに伝えて歴史を継承していくことに興味があったんですよ。僕らの時代はまだ日本リーグで、国際Aマッチも試合数が少なくて50試合出場するのがなかなか厳しかった時代。僕らより若い世代の代表はオリンピックやW杯にも出場していて、僕らが持っている経験より遥かに高いレベルの経験をしているので、それを全国の子どもや親御さんや指導者に発信してもらって、その地域のサッカーの成長に役立ててほしいという思いがあります。
  

 日比野  日本サッカー協会やJリーグも、サッカーを文化としてしっかり育てようと”Jリーグ100年構想”を掲げています。サッカー文化を創るのは重要だし、サッカー選手に対してのみならず、レジェンドの経験を伝えてスポーツを通じた人格形成やコミュニティづくりをしていくことが必要な時代だと思います。この間のウルグアイ戦でお会いした時に奈良クラブの話をしたよね?

金田 藝大では学生さんが奈良へ研究旅行に行くんでしょ?奈良の建築には美の基本が集約されているような話をしてくれたよね。奈良クラブは名蹴会のスポンサーをしてくれている大和ハウス工業さんがスポンサードしているのでご縁があるんですよ。

日比野 この間テレビでも奈良クラブを拝見しましたよ。地域に密着した活動をしていて都並さんの息子さんがいるよね。

金田 親父に似て人気者ですよ。さすが親の血を引いているよね。
 


盛り上がるシニアサッカーと「第3の居場所」


日比野 今度僕もフルコートでサッカーの試合があるんですよ。

金田 どうゆうこと?なんで65歳にもなってフルコートの試合があるの?

日比野 日本にある国公立の芸術系大学が東京、京都、金沢、愛知、沖縄の5校あるんですが、その5校が集まって行う「五芸祭」というイベントがあります。「五芸祭」の中にスポーツ交流として各大学のサッカー部のOB戦があって、僕も東京藝大のOBとして試合に出るんですよ。コロナもあったので今年は4年ぶりの開催なのですが、毎年持ち回りの当番校が今年は東京で、20代の若いOBや僕より年上のOBも集まります。走れない先輩がトップにいるから、その先輩に良いパスが出せるようにサイドに走れる選手をポジションしようとか、フォーメーションを考える時間も楽しいです。「走れるかな?」とか「怪我したくないな」とゆうのもあるけど、なによりサッカーができる楽しみ、先輩や後輩に会える楽しみ、ユニフォームを着てボールに触れるワクワク感。あの空気感が楽しいよね。またその試合の後に飲むビールが格別に美味しいこと。

金田 そうだね。終わったら皆んなで飲めるね。

日比野 でも、コロナで2年間大学の部活ができなかったので、その影響で愛知の芸大は五芸祭に参加できず棄権となりました。また、藝大のラグビー部が現役チームを作れなくて五芸祭の試合がなくなったりしました。先輩から後輩に引き継ぐのが2年途絶えるって、4年間の学校生活のうちの2年だから非常に影響が大きいんですよ。僕は藝大生時代デザイン科だったんだけどサッカー部に入っていて、油絵科、工芸科、音楽学部とか科や学部を超えて出会いがあったし、部活で得た仲間って今でもずっと繋がっているので、今の若い子にとって部活の魅力が途絶えるのは本当に心苦しいし、なんとかしないといけないって思う。スポーツを通じて先輩後輩の繋がりができるのは芸術系大学にとっても重要です。

 
美術学部と音楽学部、同大学院生を合わせて約3,300人の学生が在学する。学長と未来ある学生たちの気さくな交流。
 

金田 部活はすぐにでも再開しないとね。コロナで通常の学生生活が送れなかったのは本当に気の毒だよね。大学も高校もサッカー部に拘らず、仕組みや伝統としてあの縦軸は大事なんですよ。日本サッカー協会では、子どもたちの育成や代表チームの強化以外にもシニアサッカーの大会を開催していて、先日も宮崎県でOver60、over70の全国大会があってシニアの選手が大会を盛り上げているんだけど、高校や大学までサッカーをやっていて、社会人になってサッカーから離れたけど、シニアになってからまたサッカーをやり始める大人たちって全国にたくさんいるんですよ。そのシニアたちが当時夢中になった大会が「高校サッカー選手権」なんだけど、「全国高校サッカーOB選手権」という大会が千葉で今年の1月に開催されて、700人近くが集まった。どんどん大会が盛り上がっていて、参加者に喜んでもらっている手応えを感じています。この大会を47都道府県に広げていきたいね。高校のサッカー部が同窓会みたいな感じで集まるとすごい盛り上がるのよ。

日比野 職場と家庭の他に、「第3の居場所」が必要とされていて、月1回でも3ヶ月に1回でもいいから、それが生きがいになってイキイキするし、人生にプラスになるよね。

金田 今後、豊かさはその辺が重要になってくると思う。僕らの時代は企業人として組織の中で生きてきて、会社から離れたコミュニティーがあまり無い世代だと思います。若い頃に情熱を持って取り組んだこと、また、取り組もうとしたことにもう一回トライしていくということは生活が豊かになるし、逆にそういったものが無いと辛いかな。


サッカーとアートの共通点


日比野 今度久々にサッカーすることをイメージするだけでワクワクするわけよ。サッカーは僕が日頃取り組んでる作品創りやアートプロジェクトの面白さと似ているところがあって、サッカーは一つのボールを追いかけて奪い合う、集団で同じ時空間にいて同じビジョンを見ながら90分いられる幸せ。これは例えば、会社で目標を立てて仕事をしてもオンタイムでなかなか可視化されづらいものだけど、スポーツはそれができる。アート的に見るとこのワクワクと一体感は何よりのスポーツの魅力ですね。僕がやっている「明後日朝顔(あさってあさがお)プロジェクト」というアートプロジェクトがあって、田舎の廃校に屋根までロープを貼って校舎を朝顔で覆い尽くそうというプロジェクトで、高齢者も子どもも種を撒いて朝顔に水をやり、夏になると校舎を覆うように毎朝花が咲く。それを皆んながイメージして種を蒔いたり草取りしたりする。皆んなが「また来年も咲くといいよね」っていう同じ風景を描いているところがシンクロするんです。
 
金田 サッカーではピッチ上には2チームいて、その両チームのサポーターは攻めている時は点が欲しい、ピンチの場面は凌いで欲しいとかっていう感情が一つになって、スタジアムの空気は支配されている。チームやサポーター同士が、この間合いならこう仕掛ける、シュートをするのか守るのか、次を予測しながら試合を観ているけどその予測を裏切ってめちゃくちゃ凄いプレーが出た瞬間、想像を超えた感がアートだと思う。ペレ、マラドーナ、ケンペス、クライフ、ベッケンバウアー、メッシ、ロナウド、ロナウジーニョは誰もできないことをやるから高い金を稼ぐんだよね。
 
日比野 みんながそうするだろうっていうイメージの裏切り。フォワードは特に裏切らないとね。金田さんは現役の頃のプレイでの裏切り感ってどこから発想が生まれるの?

 
東京藝術大学の前身である東京美術学校を設立した「岡倉天心」の像を案内する日比野学長。
 

金田 先輩方々の過去の実績やと思う。1994年にW杯アメリカ大会で2ヶ月現地に行って、広い大陸を移動しながらコメンテーターをしていたんだけど、当時特にドゥンガを中心に、17歳のロナウドが活躍していたブラジルを追っていて、あの誰もが裏切られたロマーリオのスウェーデン戦のトーキック。昔の映像を観ると、セレソン(ブラジル代表)に選ばれたジジやババが同じトーキックをやっているんですよ。ロナウジーニョやネイマールにしても、その選手の閃きもあるだろうけど、昔の先輩のプレイの引き出しが閃きにつながっていて、その一瞬のプレイにブラジルのサッカーの歴史が詰まっているということなんですよ。過去や歴史を知っているからそれを見るのが楽しいね。

日比野 ゼロからモノは生まれないと思っていて、何かがきっかけや刺激になって生まれてくる。何も無いところからは出てこないんですよね。
 
金田 本人が自覚しないまま幼少期の頃に絵で見たとか音で聞いたとか頭のどこかにあって、それがピッチで瞬時にプレイに繋がるんだと思う。天才には過去のプレイヤーのプレイの蓄積があってそれがないと閃きなんて生まれないと思う。日比野さんは才能や閃きの集団である学生がいる藝大の学長なので、これまでにも才能をいっぱい見てきているでしょ。
 
日比野 才能や個性というと、ブラインドサッカーのプレイがすごいじゃないですか。まるで目が見えているかのようにシュートしてパスする。選手にどんなイメージがあるのか聞くと、「俯瞰して上から見ているような図がある」と言われた方がいて、見えていないから見えている僕よりももっと複雑な映像が頭の中に浮かんでいる。これはハンディじゃなくて能力で、見えないからこそ得られる才能があると思った。多様性ある社会と言われているけど、トップアスリートだけじゃなくて、シニアにはシニアらしいサッカーやビジョンがあって、障がいのある方はその障がいも個性とみなすスポーツの在り方というのが、きっとこれから増えていくと思う。でないと、「現役を引退したら何もできない」という社会になってしまう。年を取ったからこそ楽しめるスポーツやそれを一緒に楽しむ仲間たちが集まれる場を作るべきだね。
 
金田 全国に行ってシニアサッカークリニックをやっていると、初心者として参加していた参加者が確実に上手くなっていることに気づくことがあるし、そこで初めて会った人同士が仲良くなってサッカーした後に一緒に食事に行ったりするんですよ。サッカーをやる、代表戦や地域のクラブの試合を観る、そしてその後、飲みながらサッカーについて語るという「やる・観る・語る」が徐々に広がっているのを全国で実感するし、それがサッカー文化だと思ってる。昨日は僕もサッカー終わって飲みに行って、カラオケまで行ったよ。
 
日比野 「やる・観る・語る・歌う」だね(笑)。金田さんが現役の頃と、引退されてからの今の活躍は全く熱量が落ちてないと思うけど、それは人に対する熱量なんだろうね。
 
金田  自分ではわからないけど、よく「このおっさんアツいな」と言われるよ。アツいというかうるさいんだと思うよわし(笑)。
 
日比野 今日は金田さんと会うのでJFAのTシャツを着てきました。
 
金田 名蹴会のユニフォームをプレゼントせなあかんな。背中にHIBINOって入れて。だけどこうやって久々にお会いして色々な話をさせてもらって心地よかったよ。今度一緒にボール蹴ろうよ。サッカークリニックと一緒にアートクリニックもやりたいね。
 
日比野 藝大サッカーOB会も名蹴会に倣いながら、今度の試合は怪我しないように頑張ります。
 
金田 頑張ってください。年寄りはもう無理しないようにね。   

 

Edit & Photograph : Shogo SATO
 


PROFILE

日比野克彦 Katsuhiko HIBINO

1958年岐阜市生まれ。1982年東京藝術大学大学院美術研究科修了。在学時にはサッカー部に所属。大学在学中に段ボールを素材に用いた作品で注目を浴び、卒業制作で第一回デザイン賞受賞。その後、国内外で個展・グループ展を多数開催し、全国で一般参加者と共に数々のアートプロジェクトを手がけるなど、デビューから現在に至るまで日本アートの最前線で活躍を続けている。公益社団法人日本サッカー協会の社会貢献委員会が2016年に設立されて以来、同委員会の委員長を務める。202241日、東京藝術大学学長に就任。